自殺への冒涜者
精神はある日突然自殺する。そして失敗する。
この間私の精神は血だらけになって、私の目の前に現れた。精神だけが血だらけになっていく様を見届けるのは辛かったから、取り敢えず手首を剃刀で切った。じんわりと血が溢れて、その日は眠れなかった。
精神は言っていた。
「僕が生きている意味を見つけた時、本当に死ぬんだろうな」と。
生きている意味を見つけたら、あとは生きていくだけなのにどうして死ぬんだろう。
自分ながら、不思議に思って手首の傷を掻き毟った。
でもきっと、生きている意味と言うのは生涯にわたって見つけられないものなのかなとも思う。だってもしそれが見つけられてしまったら私たちは生きることにネガティブでどうしようも無い貪欲さを持っているから、きっと生きられなくなってしまう。そう、そうだ。
生きる意味を見つけ出すということはつまり、死を意味する。
だからずっと、そんなものは見つけなくていい。生きているうちは。少なくとも。
時々、Twitterなんかで「生きてる意味が分からない」という人がいるけど、そんなものみんな分からない。お前だけじゃない。私も、ケーキを頬張る今日が誕生日の人も、下らないプライドに左右されて危うく殺されそうになった人も、みんな。みんな同じだから生きていける。だから、そんなことを考えている人を見るとこの人生きることに真面目なんだろうな、とか勝手に思う。精神は自分の知らないところで自殺するのに。そんなことを考えていようがいまいが、ある日滅多刺しにされて目の前に現れるのに。律儀な人だ。
望んでも望まずとも、精神は自殺してくれる。
物心ついた時からそれはずっと。
悲しいけど、時には普通に生きろと思うけど、精神が実体の代わりに自殺しようとするから今までバランスが取れていたのかもしれない。
それに、ここで否定してしまったら可哀想だ。
私たちに出来ることはせいぜい、血だらけになった精神を優しく抱きしめることだし、首吊りに失敗して吐きそうになっている精神を優しく慰めることだ。
そこで責めたりしたら、いけない。
「どうして死ねなかったの」「どうして生きてしまったの」なんて、口に出さないで。
精神は勝手に自殺する。でもそれは、君に優しくされたいということだから。
君自身が君の殺人犯になってしまっては、ダメだよ。